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ここでは 『専門的なネタ』 を中心に扱っています。 モノも割と限定的なので、「分かる人にしか分からない」 可能性があります(汗) ※なお、内容に関してはあくまで 『私見』 であることをご了承願います。※
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さて、と言うわけで (?) 、今回はタイトルのような内容で行ってみようと思います。
カテゴリーをどうするか ( 『弩@日本』 にするか) 悩んだのですが、まあ………それは
後からでも変更はできますし、現状はとりあえず 『石弓@中世 (日本) 』 にしました。
もっとも、結局は結構長いこと、このままにしてしまいそうですが。f(^_^;)

それから……前回同様これもあくまで 『私見』 であり、管理人の偏見やら何やらが多分に
含まれている
ことは、どうぞご承知置きくださいますよう。m(_ _)m

…では、前置きはこれくらにして、本文をば。





え~、世間的? には、特に表記において一緒くたにされることも多い (ただしその結果、
内容的にも一緒くたにされているような………) 『弩』 と 『石弓』 ですが、これも色々と
見てみると、実は全く関係はないのではないか? …と言う気がしてきます。

そもそもモノについて記述されている時代そのものが違う……と言うのもありますが、
内容的なことに関しても相当な違いがあるようです。

何より 『弩』 は、大雑把 (おおざっぱ) な言い方をすれば "いわゆるクロスボウ" ですが、
『石弓』 は機械仕掛けの何がしかと言うわけではなく、常に相手に対して高い位置、
つまり山や崖の上から使われたもののようで、その方法も、大岩に綱をかけて相手が
接近してきたらその綱を切るとか、または大木なりを組み、それに綱をかけ岩を乗せ、
やはり相手が接近してきたらその綱を切って乗せた岩を落とすとかと言ったもので、
少なくとも "機械" と言えるようなものではなかったようです。
(吾妻鏡では、 「阿武隈川に柵を張り石弓をかけ云々」 …と言うのもありますが……)

そういうことで、何かと比較しようと言うのなら、その対象は 『弩』 ではなく 『抛石 (いしはじき) 』
が妥当なのでは……と思います。
もっともこれ ↑ にしても、 『抛石』 自体がどんなものなのかよく分かっていないようですし、
その意味では、比較云々と言うのはとりあえず脇に置いておいてもいいような気もします。

ところで 『弩』 の読みについてなのですが、少なくとも日本に伝来した当初は
「いしゆみ」 の読み (訓読み) は無かったようですね。
「ゆみ」 や 「おおゆみ」 はありますが、それ以外は見かけません。
(↑: 『弩師』 は 「どし」 「おおゆみのし」 だそうで)
これに 「いしゆみ」 の訓読がついた理由としては、個人的には二つの説 (?) を見たことが
ありまして。
一つは江戸時代、享保年間出版の本 『和漢音釈書言字考増補合類大節用集』 (長;) で
「いしゆみ」 と読んだため、と言うもの。
もう一つは中国での弓の張力単位 「石 (おそらく "セキ") 」 による…と言うものです。
…もっとも、この 「石」 が由来と言うのなら、弩だけでなく弓にも何らかの影響があっても
いいように思ったりもするのですが…、いずれにせよどちらも確定したものではないので、
これ以上のことは差し控えたいと思います。 (汗)

……話がそれましたが (汗) ……、つまりは、 『弩』 と 『石弓』 は本来直接的な関係は
ないだろうと思う…と、そういうことなのです。(_ _;)





………さて……、では、今回はこれくらいでしょうか。 (汗)
何だかんだで、やはり長くなってしまいました f(^_^;)
読みにくい部分もあるかと思いますが、懲りずにがんばって読んで下さった方に
再び感謝を。m(_ _)m

…次回以降は、まあ…………ちょっとは西 (西洋) やその他の話題をもうちょっと書いてみるかな、
…とかと思っています。
どうなるかは分かりませんし、更新もこれまで同様激遅だと思いますので、そこはどうぞ
ご了承下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。m(_ _;;;;;)m
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さて、今回はちょっと個人的に思うことを書いてみようかと思います。
本当はヨーロッパ (西洋) や中国などのものも色々と調べてはみたい所なのですが、
とりあえず現状は日本国内のことだけで手一杯の状況です……… (;o_ _)o
…まあ、↑のものはまた後ほど……と言うことで。 f(^_^;)

…と言うことで、今回はタイトルの通り、 『弩』 やその周辺事情などについて書いてみようかと。
ただし内容はこれもタイトルの通り、日本国内のことです。
その辺りはどうぞご了承下さいますよう。m(_ _)m

それから先に断っておきますと、これはあくまでも 『私見』 であり、管理人の偏見やら
何やらが多分に含まれていることはご承知のうえでどうぞ。

…まあ、サイトタイトル下部の説明文にも一応明記しているのですが、ことに際して、
改めて書いておこうかなと。 f(^_^;)

…では、本文をば。

※06.09.22. 、ちょっとした疑問を追加※
※06.10.10. 、太宰府について? 追加※





日本で弩が "普及しなかった" のは西洋でもよく言われる 『速射性』 などが原因で、
同じく "廃れた" のは 『武士の台頭』 や 『(武士の) 思想や戦法にそぐわなかった』 から、
………などと言ったことは世間的によく言われていることと思いますが……、実のところ、
少なくとも書物等々からの情報ではあるのですが、色々と該当する書物を見ていくと、
"普及しなかった" 、 "廃れた" のはそう言った単独の事由からではないのではないか、と言う
気がしてきます。

弩そのものが日本に入ってきたのはどうやら高句麗の献上品の中にあったから……
と言うことのようですが、その後は国内で独自に改良などがなされたり官職としての
『弩師』 が置かれたりと、それなりの発展は見られたようです。
中には 「勝つために弩が必要だ、だから弩師をよこせ」 …と言っている国 (越後国、
新潟県) まであったりと、最盛期にはそこそこの扱いを受けていたようで。

何より律 (刑法典) での規制が厳しく、弩の所持・製作・技術漏洩 (ろうえい) は懲役刑に
処せられたとか。 (賊盗律)

弩を実際に現場で扱う弩手も軍団 (軍) の中から精鋭が二人ほど選び抜かれていた
と言うことで、おそらく一般の兵まで配備されることはなかった……のかも知れません。

弩を整備などできるのはどうやら弩師のみだったようですね。
「庫中に弩はあるんだけど牙 (が、弦受け) がズレちゃったりしてて
 そのまんまじゃ使えないから弩師よこして」

…と言った趣旨の上奏文もあるようで、どうやら一般の人間は弩を扱えなかったようです。

その弩師なのですが、後代 (三善清行の頃ですね) には 「売位・売官」 や
「続労 (しょくろう)」 の対象になっていたのだそうで、つまりは金銭や資材などのおカミへの
提供で獲得できる物 (位 (くらい) ) になっていたのだそうです。
つまり、必ずしも実際に技術などのある人間が任ぜられていたわけではない、と言うことの
ようです。

……↑のことを考え合わせるに、日本での弩は "普及しなかった" と言うよりは、
おカミ、つまり政府 (朝廷?) 側が "普及させなかった" のではないか、と言う気がします。
少なくとも、弩師は 『類聚三代格』 などを見る分には、日本海側を中心に結構あちらこちらに
配置されていた (太宰府や伊予国、今の愛媛県なども) ようですので、そこまでおざなりに
されていた訳でもないのではないか、とも思います。

それでもやはり "廃れた" ことに間違いはないのでしょうが、とは言えその理由にしても、
ただ単純な時代やその他の変化・変遷 (へんせん) と言うよりは、律令体制、
律令国家の破綻 (はたん) とそれに伴う位階、つまりは弩師の衰退? によって
実際に整備や教習などができる人間が不在化し、結果として弩が "廃れた" のではないかなぁ、
……と言う気がしています。

…まあ、簡単に言ってしまえば、どちらもそう単純な理由ではないだろう、と思っている………
と言うことです。f(^_^;)
《 "律令体制、国家の (破綻の) 巻き添えを喰った" ………? σ( ̄▽ ̄;;;)》



……ところで、日本における 『弩』 ですが、これは中国で言うところの 『弩』 (個人携行・使用)
なのでしょうか、それとも 『床 (子) 弩 』 (大型) なのでしょうか??
どうも両方あったとも個人用のみだったとも取れなくもないので、何とも判断がつけられません。
とは言えこの辺りのことは、文献だけでどうこうできることではないのかも知れませんね。
(もっとも、その辺りについてきちんと記述している書物でもあるのならまた別なのでしょうが………)



ところで、やはり太宰府は別口 (べつくち) だったのでしょうか。
そもそも別途規定が設けられたりしていたようですし、何より先の記事のように、少なくとも
戦前までは弩が 『民具』 として残存していたらしい (@鹿児島県) ………と言う辺りで
そう思った訳なのですが、果たしてどうなのでしょうか。





………さて、では、今回はこれくらいでしょうか。
何やらやたらと長い文になってしまいましたね………f(=_=;;;;;;;;;)
がんばって読んで下さった方に感謝を。m(_ _;;;;;)m

…次回は 『弩』 と 『石弓』 について書いてみようかと思います。
……次もやっぱり長くなるのかな…………σ( ̄▽ ̄;;;;;;;;;)
というわけで、まずは『私見@石弓』から行ってみたいと思います。
こういう調子で、一日に一つを目安に、徐々に記事をあげていくつもりでいます。



「石弓」ですが、これは中世(もちろん日本における中世) 、大体
鎌倉時代と呼ばれる頃の文献からちらりほらりと見られるようになって
くるものです。
具体的な正体は不明ですが、一般的には
「綱を張ってそこに石(と言うより岩?) を置き、敵が寄ってきたら
 その綱をバツッと切って置いた石を落とす」
もの、と言われています。

よく「弩」も『いしゆみ』と読まれて"石を飛ばすもの"と言われたり
しますが、弩は倭名類聚抄(←これも字が色々あるんですが、今回はコレで)
では『おおゆみ(於保由美)』と読まれていますし、続日本紀では
矢を飛ばしています。
…もっとも、仮に弩がクロスボウと同様のものと言うのであれば、それは
それで矢でも石でも飛ばせないことはないんですけれども……。
(でも弩か床弩か…どっちなんでしょう?;)

むしろ比較? しようとするなら、弩よりも「抛石(いしはじき)」の方を
疑った方がいいのでは……という気が、個人的にはしていたりします。
もっとも、その抛石も、詳しい正体は不明なんですが…。(汗)

………どちらかと言うと「石弓」にはそこまで首を突っ込んでいないので、
現状で書けるのはとりあえずここまでです。(_ _;)
ただ、私は「弩」と「石弓」は別物であると思っています、ということで。



どうやら結構長いですね……(_ _;;;)
懲りずに読んでくれた方に感謝を。(;人;)

次のこのテのネタは…………とりあえず、未定ということで。(((((( ;・・)↑
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「めんどくさい」とか何とか色々言いながら、気がつけば
『自由研究』とも長い付き合いに。
…何だかんだで一つのことに
のめり込むタイプのようです
f(^_^;)
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