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ここでは 『専門的なネタ』 を中心に扱っています。 モノも割と限定的なので、「分かる人にしか分からない」 可能性があります(汗) ※なお、内容に関してはあくまで 『私見』 であることをご了承願います。※
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さて、今回はちょっと個人的に思うことを書いてみようかと思います。
本当はヨーロッパ (西洋) や中国などのものも色々と調べてはみたい所なのですが、
とりあえず現状は日本国内のことだけで手一杯の状況です……… (;o_ _)o
…まあ、↑のものはまた後ほど……と言うことで。 f(^_^;)

…と言うことで、今回はタイトルの通り、 『弩』 やその周辺事情などについて書いてみようかと。
ただし内容はこれもタイトルの通り、日本国内のことです。
その辺りはどうぞご了承下さいますよう。m(_ _)m

それから先に断っておきますと、これはあくまでも 『私見』 であり、管理人の偏見やら
何やらが多分に含まれていることはご承知のうえでどうぞ。

…まあ、サイトタイトル下部の説明文にも一応明記しているのですが、ことに際して、
改めて書いておこうかなと。 f(^_^;)

…では、本文をば。

※06.09.22. 、ちょっとした疑問を追加※
※06.10.10. 、太宰府について? 追加※





日本で弩が "普及しなかった" のは西洋でもよく言われる 『速射性』 などが原因で、
同じく "廃れた" のは 『武士の台頭』 や 『(武士の) 思想や戦法にそぐわなかった』 から、
………などと言ったことは世間的によく言われていることと思いますが……、実のところ、
少なくとも書物等々からの情報ではあるのですが、色々と該当する書物を見ていくと、
"普及しなかった" 、 "廃れた" のはそう言った単独の事由からではないのではないか、と言う
気がしてきます。

弩そのものが日本に入ってきたのはどうやら高句麗の献上品の中にあったから……
と言うことのようですが、その後は国内で独自に改良などがなされたり官職としての
『弩師』 が置かれたりと、それなりの発展は見られたようです。
中には 「勝つために弩が必要だ、だから弩師をよこせ」 …と言っている国 (越後国、
新潟県) まであったりと、最盛期にはそこそこの扱いを受けていたようで。

何より律 (刑法典) での規制が厳しく、弩の所持・製作・技術漏洩 (ろうえい) は懲役刑に
処せられたとか。 (賊盗律)

弩を実際に現場で扱う弩手も軍団 (軍) の中から精鋭が二人ほど選び抜かれていた
と言うことで、おそらく一般の兵まで配備されることはなかった……のかも知れません。

弩を整備などできるのはどうやら弩師のみだったようですね。
「庫中に弩はあるんだけど牙 (が、弦受け) がズレちゃったりしてて
 そのまんまじゃ使えないから弩師よこして」

…と言った趣旨の上奏文もあるようで、どうやら一般の人間は弩を扱えなかったようです。

その弩師なのですが、後代 (三善清行の頃ですね) には 「売位・売官」 や
「続労 (しょくろう)」 の対象になっていたのだそうで、つまりは金銭や資材などのおカミへの
提供で獲得できる物 (位 (くらい) ) になっていたのだそうです。
つまり、必ずしも実際に技術などのある人間が任ぜられていたわけではない、と言うことの
ようです。

……↑のことを考え合わせるに、日本での弩は "普及しなかった" と言うよりは、
おカミ、つまり政府 (朝廷?) 側が "普及させなかった" のではないか、と言う気がします。
少なくとも、弩師は 『類聚三代格』 などを見る分には、日本海側を中心に結構あちらこちらに
配置されていた (太宰府や伊予国、今の愛媛県なども) ようですので、そこまでおざなりに
されていた訳でもないのではないか、とも思います。

それでもやはり "廃れた" ことに間違いはないのでしょうが、とは言えその理由にしても、
ただ単純な時代やその他の変化・変遷 (へんせん) と言うよりは、律令体制、
律令国家の破綻 (はたん) とそれに伴う位階、つまりは弩師の衰退? によって
実際に整備や教習などができる人間が不在化し、結果として弩が "廃れた" のではないかなぁ、
……と言う気がしています。

…まあ、簡単に言ってしまえば、どちらもそう単純な理由ではないだろう、と思っている………
と言うことです。f(^_^;)
《 "律令体制、国家の (破綻の) 巻き添えを喰った" ………? σ( ̄▽ ̄;;;)》



……ところで、日本における 『弩』 ですが、これは中国で言うところの 『弩』 (個人携行・使用)
なのでしょうか、それとも 『床 (子) 弩 』 (大型) なのでしょうか??
どうも両方あったとも個人用のみだったとも取れなくもないので、何とも判断がつけられません。
とは言えこの辺りのことは、文献だけでどうこうできることではないのかも知れませんね。
(もっとも、その辺りについてきちんと記述している書物でもあるのならまた別なのでしょうが………)



ところで、やはり太宰府は別口 (べつくち) だったのでしょうか。
そもそも別途規定が設けられたりしていたようですし、何より先の記事のように、少なくとも
戦前までは弩が 『民具』 として残存していたらしい (@鹿児島県) ………と言う辺りで
そう思った訳なのですが、果たしてどうなのでしょうか。





………さて、では、今回はこれくらいでしょうか。
何やらやたらと長い文になってしまいましたね………f(=_=;;;;;;;;;)
がんばって読んで下さった方に感謝を。m(_ _;;;;;)m

…次回は 『弩』 と 『石弓』 について書いてみようかと思います。
……次もやっぱり長くなるのかな…………σ( ̄▽ ̄;;;;;;;;;)
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青龍弩↑
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非公開
自己紹介:
「めんどくさい」とか何とか色々言いながら、気がつけば
『自由研究』とも長い付き合いに。
…何だかんだで一つのことに
のめり込むタイプのようです
f(^_^;)
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