ここでは 『専門的なネタ』 を中心に扱っています。
モノも割と限定的なので、「分かる人にしか分からない」 可能性があります(汗)
※なお、内容に関してはあくまで 『私見』 であることをご了承願います。※
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…え~……、タイトルの通り、以前にこちらの記事 で書いた、鹿児島で使われていたと言う
弩? について、とりあえずまでも詳細が判明しまして、今回はそのネタで書いてみようかと
思います。
《なお、今回の記事は多くを 『かごしまの民具』 に拠 (よ) っています》
まずは書籍と、それから鹿児島県ホームページ内のコンテンツであるらしい 『黎明館』 の
リンクをば。
・鹿児島民具博物誌 かごしまの民具 / 慶友社 / 1991年
・ 『デッキュ』 (鹿児島県HP、 『黎明館』 内コンテンツ)
…このようになっています。
さて、ではまず名称についてですが、
・ 『かごしまの民具』 では "ドッキュ"
・ 『黎明館』 では "デッキュ"
…となっています。
おそらくはどちらかがより発音に忠実なのでしょうが、現時点ではそれを判断できるだけの
材料はありませんので、これについての推測その他はひとまず置いておくことにします。
《おそらく 「弩弓」 が語源であろう、とは思われますが……》
ただ、この二つはどうやら同じ所から取材したらしく、どちらも出自が 「大崎町」
(鹿児島県曽於郡大崎町) であることに変わりはありません。
この大崎町、 『かごしまの民具』 所載の鹿児島県市町村図によれば大隅半島中部の東寄り、
海に面した町であるようですね。
どんな所 (背後に山を抱えているのか、など) なのかは分かりかねますが、ともあれ、この町では
この道具が間違いなく使われていたようです。
次に構造や素材などをば。
…とは言え大まかな構造そのものは中国などの弩や西洋のクロスボウとほぼ同一ですので、
細かい部分はそちらを参考にしてもいいかと思います。
※ ただし "機" (引き金まわり) などについては詳細がありませんので、そこは保留しておいて
もらえれば……と思います ※
素材などですが、 『かごしまの民具』 によれば臂 (ひ、ストック部ですね) は樫で、全体は
およそ80cm。
中央にはガイドたる溝が刻まれています。
弓部は孟宗竹を自動車の板バネのように数枚合わせたもので、最長部はおよそ90cmほど。
矢は矢竹、またはジザサの、より節の多いものを選択して製作したそうで。
整形は他の竹細工などの場合と同様、火であぶって行ったそうです。
なお鏃 (やじり) はつけられなかったそうで。
弦には麻を、矢羽には樫の葉を使ったそうですね。
それから用途ですが、主に小鳥撃ちに使われていたそうで。
最大でもヒヨドリや放し飼いの鶏 (ニワトリ) くらいで、それ以上にはほぼ使われなかったとか。
これも 『かごしまの民具』 によれば最大射程はおよそ100mくらいで、実用に関わる
有効射程は20~30m …だそうですね。
この 『ドッキュ / デッキュ』 がなぜ鹿児島 (大崎町) に存在したのか、鹿児島県内の
他の市町村ではどうなのか、また九州内の他の県ではこれに類するようなものが使われて
いたのかどうか、それは現状では分かりません。
大崎町のそれは律令体制下の弩の使用の名残であるのかも知れませんし、別口でどこか他の国
(この場合は特に海外、と言う意味で) から流入し、それが存続していたのかも知れません。
細かな推測は今はしませんが、大宰府や九州全体、また各市町村の歴史などを調べてみれば、
もしかすると何かが分かる、かも知れませんね。
………さて、では、今回はこれくらいでしょうか。
どこまで引用していいものか匙 (さじ) 加減が分からず、ここまで書くのに妙に時間がかかって
しまいました……… (_ _;)
"参考" "引用" は、実に難しいものですね…………。 (*_*;;;;;)
弩? について、とりあえずまでも詳細が判明しまして、今回はそのネタで書いてみようかと
思います。
《なお、今回の記事は多くを 『かごしまの民具』 に拠 (よ) っています》
まずは書籍と、それから鹿児島県ホームページ内のコンテンツであるらしい 『黎明館』 の
リンクをば。
・鹿児島民具博物誌 かごしまの民具 / 慶友社 / 1991年
・ 『デッキュ』 (鹿児島県HP、 『黎明館』 内コンテンツ)
…このようになっています。
さて、ではまず名称についてですが、
・ 『かごしまの民具』 では "ドッキュ"
・ 『黎明館』 では "デッキュ"
…となっています。
おそらくはどちらかがより発音に忠実なのでしょうが、現時点ではそれを判断できるだけの
材料はありませんので、これについての推測その他はひとまず置いておくことにします。
《おそらく 「弩弓」 が語源であろう、とは思われますが……》
ただ、この二つはどうやら同じ所から取材したらしく、どちらも出自が 「大崎町」
(鹿児島県曽於郡大崎町) であることに変わりはありません。
この大崎町、 『かごしまの民具』 所載の鹿児島県市町村図によれば大隅半島中部の東寄り、
海に面した町であるようですね。
どんな所 (背後に山を抱えているのか、など) なのかは分かりかねますが、ともあれ、この町では
この道具が間違いなく使われていたようです。
次に構造や素材などをば。
…とは言え大まかな構造そのものは中国などの弩や西洋のクロスボウとほぼ同一ですので、
細かい部分はそちらを参考にしてもいいかと思います。
※ ただし "機" (引き金まわり) などについては詳細がありませんので、そこは保留しておいて
もらえれば……と思います ※
素材などですが、 『かごしまの民具』 によれば臂 (ひ、ストック部ですね) は樫で、全体は
およそ80cm。
中央にはガイドたる溝が刻まれています。
弓部は孟宗竹を自動車の板バネのように数枚合わせたもので、最長部はおよそ90cmほど。
矢は矢竹、またはジザサの、より節の多いものを選択して製作したそうで。
整形は他の竹細工などの場合と同様、火であぶって行ったそうです。
なお鏃 (やじり) はつけられなかったそうで。
弦には麻を、矢羽には樫の葉を使ったそうですね。
それから用途ですが、主に小鳥撃ちに使われていたそうで。
最大でもヒヨドリや放し飼いの鶏 (ニワトリ) くらいで、それ以上にはほぼ使われなかったとか。
これも 『かごしまの民具』 によれば最大射程はおよそ100mくらいで、実用に関わる
有効射程は20~30m …だそうですね。
この 『ドッキュ / デッキュ』 がなぜ鹿児島 (大崎町) に存在したのか、鹿児島県内の
他の市町村ではどうなのか、また九州内の他の県ではこれに類するようなものが使われて
いたのかどうか、それは現状では分かりません。
大崎町のそれは律令体制下の弩の使用の名残であるのかも知れませんし、別口でどこか他の国
(この場合は特に海外、と言う意味で) から流入し、それが存続していたのかも知れません。
細かな推測は今はしませんが、大宰府や九州全体、また各市町村の歴史などを調べてみれば、
もしかすると何かが分かる、かも知れませんね。
………さて、では、今回はこれくらいでしょうか。
どこまで引用していいものか匙 (さじ) 加減が分からず、ここまで書くのに妙に時間がかかって
しまいました……… (_ _;)
"参考" "引用" は、実に難しいものですね…………。 (*_*;;;;;)
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プロフィール
HN:
青龍弩↑
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
「めんどくさい」とか何とか色々言いながら、気がつけば
『自由研究』とも長い付き合いに。
…何だかんだで一つのことに
のめり込むタイプのようです
f(^_^;)
『自由研究』とも長い付き合いに。
…何だかんだで一つのことに
のめり込むタイプのようです
f(^_^;)
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